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もう一つの聖霊の集団:キリストの幕屋 自己紹介その5

 私は福井に生まれて禅や浄土真宗に影響を受けつつ、キリスト教に触れて神を信じイエス・キリストに従うと心に決めました。以来、私は神様のエージェント(スパイ・工作員)になりたいと思ってきました。アメリカに留学した時、私は「異邦人」でした。あたりまえですが、まわりは皆英語を話す人ばかりです。キリスト教の牧会学を学び日本に戻った時、私は別の意味で「異邦人」になりました。つまり神の国の国籍を持つ異邦人たらんとしてきたのですがエージェントとしては常に崖っぷち、時に、クビになりそうだと思いながら挫折と再起を繰り返してきました。エージェントというのは自分はどうあれ指令に従い結果を残すということが大切です。そのために異文化にも親しみ、そこに種を蒔くことが大切。

 そう考えると、私が勝手にかじってきた哲学とか神学とかの学問や理論はエージェントの役目からすると相対的で、私が追求すべきものではないと思うようになりました。要は結果が重要で神の国の平安と秩序を地上にもたらすことが大切であると思うわけです。そのためには超党派、超教派、文化・宗教の違いすら超えて互いに正しいことのために手をたずさえることが大切と思っています。

 

 以上の前置き、蛇足かも知れませんが、私はキリスト教に正統うんぬんという枠組みはなくていいと思っています。聖書をある意味基準として日々学び、そこから神の声や教えを受けて生きてゆけばいいとややアバウトに思っています。聖書を解釈しうるものは聖霊であり神です。(無論、聖書学、考古学などは参考にしなければなりませんが。)

 

 さて、私のパサデナでの体験の一つに「キリストの幕屋」という日本の無教会主義、聖霊派のグループとのまじわりがあります。私が最初に留学したペンシルバニア州スワスモア大学の大先輩にキリストの幕屋の伝道をされている方があり、私が奨学金をいただいた基金の理事として、知らずにお世話になっていたことが帰国中わかりました。フラー神学校に入学する前に日本でその方にお会いする機会があり「キリストの幕屋」に触れて、ロサンゼルス幕屋にも一時期お世話になっていました。住居も最初はロス幕屋の青年の家に同居させていただいたのですが、教会にも行き、幕屋の集会にも出るという二兎を追うようなことはするな、ということで神学校の寮に移り住むことになりました。

 

 キリストの幕屋では聖霊体験が重視されます。求め続けよ、さらば与えられん、というわけで良い意味でプレッシャーを受けていました。そこからはじき出されて、ペンテコステ派、(聖霊の)第三の波、「しるしと奇跡」を強調する教会(Vinyard Christian Fellowship)など、言わばなりふり構わず求めに求めるなかであのホームレスの黒人青年との出会いがあり、聖霊の光に撃たれる経験をすることが出来たと言えます。

 私とアメリカとキリスト教、という話はここからまだまだ続いていきます。