その後ですが、Aとの関係は一貫して片思いで、親切にはしてくれましたがプレゼントは受け取ってくれませんでした。それでも私の手紙に対して自分も片思いの経験があるからわかるけどお付き合いは出来ないというものでした。私も距離をとろうとしましたが思いを断つことは出来ず、学業にも影響して無理をして体を壊してしまいました。風邪をこじらせて課題がこなせず留年ということになり、結局転学勧告を受けて別の大学に変わることになりました。アメリカの大学では例えば単位が不足している学生が8年かけて卒業という事例はあまりないのではないかと思います。(よほど親が寄付でもしていればそんなこともあるかも知れませんが。)逆に転学は比較的容易でレベルの高いところからより低いところへ移るのには試験は不要です。単位はC以上は移せるし、私の場合奨学金を出していた基金のほうで転学先を決めてくださいました。
転学する前に私は仏教とキリスト教の比較から、あるきっかけを経て神仏を信じ「キリストに従う」ことに決めたことをAに報告、紅葉のクリーク(森林の中の小川)で会うという特別な思い出をつくることが出来ました。転学先はリンカーン大統領が選挙前に演説をした歴史的建物が現在も使われているイリノイ州のノックス大学でした。そこは中西部の広大な平地でシカゴの西南西約2百キロ、シカゴからサンフランシスコとロサンゼルスに向かう鉄路の分岐点で鉄道の要衝となっています。東部の田舎町から中西部の田舎町という環境の変化は私にとっては良かったと思います。文化はやや保守的で米軍と連携した学生のプログラムもある愛国的な雰囲気の大学だったと記憶しています。何よりも気候がなんとなくしっくりと来て、より勉強に集中出来たと思います。専攻は哲学と宗教で、アメリカのキリスト教神学校に進むことを考えて神学の勉強も始めていました。当時から私の興味は20世紀のプロテスタント神学の対極的な二人パウル・ティリッヒとカール・バルトの比較で卒業後はかつてティリッヒが教えていたニューヨークのユニオン神学校に行くことを考えていましたがAの反対があり福音派の神学校に行くことを強く勧められました。
たまたまですが、Aは大学を卒業して一足先にカリフォルニア州パサデナのフラー神学校に行き心理学を勉強しており、そこにカール・バルトの神学書の英語翻訳をライフワークのようにしていたバルトの権威だった教授がいて、ならば僕もフラー神学校に行くよ、とまさかの「追っかけ」留学を計画しました。ノックス大学卒業後一旦帰国して福井市の教会に通い牧師さんの推薦などをいただいて何故かとんとん拍子でフラー神学校に神学修士課程への留学が決まりました。
このフラー神学校での経験は私にとって貴重なものとなりました。今のウィキペディアの記述を引用してみますと:
フラー神学大学院(フラーしんがくだいがくいん、Fuller Theological Seminary)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナに位置し、世界で最大級の超教派的なプロテスタント系の神学大学院である。
学問的な厳しさ、民族、教派の多様性が有名であり、67以上の国の、108を越す教派から、4300人以上の学生が在籍している[1]。3つの大学院(神学研究科、心理学研究科、国際文化学研究科)と種々の研究センターを有し、各研究科や研究センターが協同して13の学位を授与できる総合大学院的な教育を提供している。形の上では、今なお1972年改訂の福音的信仰箇条10条を堅持しているが、入学に当たってそれらの信仰箇条を厳密に学生に義務付けたり強制することはなく、ローマカトリック、正教会、新興の諸教派からの入学者に加え、非キリスト教徒の入学も許可している。ことに、高等神学研究所(CATS)等の高度な学位課程にはプロテスタント以外の聖職者が入学している。
歴史的には長老派系福音派の信仰基準を持ちつつも、フラー神学大学院は、保守的な福音主義者から神学的リベラルまで快く受け入れてきた。講師陣は、さまざまな背景にたつ多様な神学者によって成り立っている。教授陣も学生も、多様な意見をもち、神学的また時事的な問題について、激しい議論を交わすこともある。しかし、クリスチャンとしての結束はかたい。世界中のキリスト教教派からの、多彩な学生と教授陣は、フラー神学大学院の強みの一つである。
私はフラーに2年間在学しただけなのですがウィキペディアは大変好意的な人が書いているようですね。確かに私はフラーの信仰箇条を満たしてはいませんでしたが入学を許され神学研究科の学生として実に自由な恵まれた勉学の時期を過ごすことが出来ました。そこのチャペルは私の祈り場所として記憶に残っています。祈りの込められた場所というか、そこに行くと聖霊が働いてくるといいますか、不思議とよく祈れました。パサデナ、フラー神学校時代の思い出はたくさんあって、いちいち書いていたら本になってしまうと思うほどです。(誰が読む?)